2021/03/27 03:54

教育とは自ら学びに赴くということである。

もし、我が子の美術の才能を開花させたいのなら、まず絵画教室に通うせるのではなく、"子どもが雨の日の車内のガラスについた結露を指でなぞって描く落書き"を「手垢がつくからやめなさい」と注意しそれを止めさせることを"保護者がまず辞めるべき"である。

垢落としのガラスクリーナーなら1,000円で買える。ついでに洗車もすればいい。
しかし子どもの自発的に行った「結露落書き」は1,000円でも10,000円でも買えない体験であり、そしてその行動は紛れもなく芸術行為である。なにも芸術とはカンバスと絵具を用意して白紙とにらめっこすることだけではない。

私は時折「あなたはいつから絵を描き始めたのですか?」という質問をされることがある。わたしはきまって「質問対してに、質問でお返事するのは失礼かもしてませんが…」「あなたはいつから絵を描くことを辞めましたか?」と投げかけます。

その回答はさまざまではあるが、まず結論として述べたいのは「幼さない頃は皆絵は描いていた。そして、いずれ描かなくなってゆく。私は描くのを辞めなっただけ。ということだ。

特に小学校高学年から中学校までの期間はいわゆる"カッコいい"、"かわいい"の基準がそれまでと大きく変わってくる。

例えば運動が得意、成績が優秀、容姿が整っている、リーダシップがある等々。思春期は同世代間の価値基準が統一化されはじめるポイントでもある。
そして、絵描きは周り価値基準
に合わせることなくとにかく描き続けること、描くことを止めないことがなにより重要である。


蛇足かもしれないが、新しい何かをはじめることに遅いということは決してない。

描け。
共に描こう。